そもそも私が子どもだったころ、「北の京芦別」は「芦別レジャーランド」という名前で営業していたはずだった。テレビCMの記憶もおぼろげにある。そう思っていたら、果たしてそのとおりだった。現在「北の京芦別」CEOを務める石垣志郎氏いわく
「レジャーランドという発想は、創業当時の1970年代においては画期的だった」
そうな。
それまでの芦別は炭鉱の街として栄えていたが、昭和40年代に入ると閉山が相次ぎ、芦別は衰退の危機を迎えていた。そこで「芦別レジャーランド」初代社長・吉沢氏が「炭鉱から観光へ」をモットーに、レジャー施設経営に乗り出したのだという。しかもこの社長、先見の明に長けたアイデアマンだったそうで、
「来たるべき高齢化社会を見据えて、高齢者が喜ぶ施設にするべきだ」
と考えたのだという。高齢者が喜ぶもの。それは温泉、宴会、寺社めぐり。寺社めぐりといえば京都。よーし、芦別に京都をつくっちゃえ! というわけでホテル五重塔があり大浴場があり十二支をテーマにした庭園には神社があり聖徳太子があり……という高齢者うれしがらせモチーフてんこ盛りの施設になったのだという。
昭和バブルにはブイブイ言っていた芦別レジャーランド。その後1988年に現在の名前に改称され、バブルまっただ中の1989年に北海道大観音が建立された。かし徐々に経営不振の影がしのびよる。そんな中でも吉沢社長はガンガンお金を借りまくり、ホテル三十三間堂を新たにオープンさせるに至る。当時従業員だった現CEO石垣氏は豪放磊落な常識破りのアイデアマン・吉沢社長を心底尊敬していたが、さすがにこれには猛反対したという。しかし社長は「大金を動かさなければ大事を成すことはできぬ」と反対を押し切った。ご存じの方も多いだろうが、その後2008年に「北の京芦別」は経営破綻、34億円の負債を背負って特別清算を受けるに至った。高齢者のためのレジャーランドというぶっ飛んだ発想で時代を築いた人は、破綻のしかたも破格なのだった。
特別清算に伴って退任した吉沢社長に代わる2代目を経て、石垣氏が3代目社長に就任。「初代社長の思いがつまった『北の京芦別』をなくしたくない」という一念のみで奮闘されている。むろん現在も経営は決してラクではない。それでも「北の京芦別」を後世に残すべく頑張っておられる。それほどまでに敬愛している初代社長にはその後会われましたか? という質問にサラリと
「ありますよ、裁判所でね」
と答えられたのが印象的であった。人間って、大人って、その心のうちは単純には語れないものですよね。ちょっと切なくなりました。
ともあれ、高齢化社会をみすえたビジネスという発想は決して間違ってないし、来館する人々に幸せな気持ちで帰っていただきたいという石垣CEOの思いはひしひしと伝わってきた。ちなみに、石垣CEOは札幌オオドオリ大学サイト内で公開されたプロフィールでこんなことを語っている。
(札幌オオドオリ大学サイトより転載)
北の京芦別は一見すると近寄りがたい施設に見えるかもしれませんが、この異空間、仏閣という日本の心に触れることにより、癒しを感じられるはずです。まさに日本国民のためにある施設だと思います。北海道大観音は鏡のようなもので、手を合わせる行為は神頼みをするのではなく、自分を振り返り、願いを自ら達成するために手を合わせるのです。皆様もぜひいらして手を合わせてください。北の京芦別を無くしてはいけない。次の世代に継承するのが私達の使命です。
北海道経済人のひとりとしてのこの心意気、頭が下がります。北海道に住んでいるからには一度くらい訪れてみてもいいと思う。いやぜひとも訪れてあげてほしいと思う。だいじょうぶ、決して期待を裏切りません。一度でじゅうぶんおなかいっぱいになれるし、こんな旅芸人一座のステージも待っています。
「劇団 扇」による涙と笑いの人情芝居 舞踊・歌謡ショー。
衣装も替えて待ってます。
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