155 *お別れ

2010年05月11日 12:14|つれづれ雑記

 ゴールデンウィークも終わってしまいましたね。今年はカレンダーどおりでもけっこうゆっくり休めた方が多かったのではないでしょうか。
 私はというと、

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札幌ドームで野球を観たり、

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小樽「藪半」で蕎麦を食べたり、

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余市のニッカウヰスキーで工場見学したり、近場でうろうろしていました。

 そんな連休も終盤、5月4日0時30分。わが家の飼いウサギ・タオちゃんがお月様へ帰りました。10歳2ヵ月。ウサギ年齢ではとうに百歳を超える長寿、晩年は目立った病気もしていなかったので、いわゆる老衰だったのだろうと思います。
 思い起こしてみれば、タオちゃんが“うちのコ”になったのも、10年前の5月でした。ひょんなきっかけで、苫前町にお住まいの方からウサギを譲ってもらえることになり、その方がわざわざ届けてくださったのが最初の出会いでした。
 放し飼いだったため、最初のころは電気コードや壁や柱をかじられたりして大変でした。が、帰宅すると玄関へすっ飛んできてぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだり、ぷぅぷぅ鼻を鳴らしながらおもちゃのボールで遊んだり、朝になるとベッドに飛び乗って顔をぺろぺろしながら「ハラへった」「遊んでくれ」と起こしにきたり、もうもうかわいくて楽しくてしかたありませんでした。
 6年前に父が病気で長期入院したため、タオちゃんは飼い主の実家へ引っ越しました。退院した父ともすぐに仲良くなり、父はめきめき回復。アニマルセラピーってほんとにあるんだなあ、と感心したほどでした。
 何度か病気はしたものの命に関わることもなく、タオちゃんは静かに年を取っていきました。晩年は左脚が悪くなり、ほとんど踏ん張りが効かなくなったため、体を大きく傾がせてよたよたと歩くようになったものの、食い意地の張った飼い主に似たのか、ごはんとおやつの要求は毎日きっちりとしてきました。

 老齢だったため、早めに覚悟は固めていました。だから訃報メールを受け取ったときも「ああとうとう……」という気持ちでした。それでも亡骸に対面したときは、涙があふれて止めることができませんでした。
 若いころのタオちゃんはうれしかったり気持ちよかったりすると、バタン! と体を横倒しにして、四肢をのびのびと伸ばして寝転がっていました。亡骸もそんな姿をしていて、いまにもひょいと起き上がってきそうでした。
 市の動物管理センターで火葬してもらうつもりだったのですが、連休中だったためお休み。「連休明けまで亡骸を見ているのはつらい」という父の意向で、豊平にある「北海道動物霊園」へ行くことにしました。私はタオちゃんが初めてのペットだったので、こういうところへ来るのも初めてです。
 受付をすると葬儀所へ案内され、タオちゃんの上には赤地に金銀の刺繍が施されたゴーカな布がかけられました。袈裟をかけたおじさん(坊さんではないと思う)がチーンと鈴を鳴らしながら「南妙法蓮華経」を数回となえ、焼香箱を差し出しました。わが家は曹洞宗なので「南無阿弥陀仏」なんだがな……と思いつつ焼香。泣きながらあたりを見渡すと、一面にびっしり、ペットの名前が墨書きされた卒塔婆が並んでいます。いくつか読んでみると
「愛犬ゴン太之霊位」
「愛鳥ピーチャン之霊位」
「愛兎ピョン助之霊位」
「愛猫ニャーニャー之霊位」
 ……同じ立場として飼い主の気持ちはよくわかる。生前どれほど愛されていたかもよくわかる。しかしペットの名前って、大マジメに墨書きするほど冗談みたいに見えてしまうのですね。そしてさらに見ると

「愛猫めだか之霊位」
……猫なのに「めだか」とは。不謹慎にも心の中で「プッ」と噴き出していたバチ当たりな私を許して、タオちゃん。
 悲しみの中にも一抹のおかしみを残して、タオちゃんはほかの動物たちといっしょに旅立っていった。その日はよく晴れたあたたかい日だったから、タオちゃんはきっと迷わずお月様へ行けたことだろうと思う。
 スーパーでチンゲンサイを見ると「ああタオちゃん好きだったな」とか、クルマで走っていると「ああこの道を通って病院へ行ったっけ」とか、つい思い出しては涙ぐむ今日このごろ。なかなか気持ちの整理がつかず、今回は極私的な話で終始してしまいましてごめんなさい(いつもか)。来週こそは回復します。

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佐々木美和

佐々木美和

札幌在住のコピーライター。運転免許はもちろんゴールド(ただしタイヤ交換すらできません)。近ごろクルマとは週末のお買い物や旅先のレンタカー、助手席もしくは後部座席でライトなおつきあい。ですが、クルマのお出かけは大好きです。

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