144 *あの日のプリメーラ

2010年02月16日 11:28|つれづれ雑記

 札幌医大近くのうどん屋に伴って父の手術のことを思い出していたら、ハンカチがするする出てくる手品みたいに昔の記憶が引っ張りだされてきた。
 私の母は16年前に職場で倒れてそのまま意識が戻らず、わずか2日後に亡くなった。このとき救急車で運び込まれたのが、父が手術した病院の近くにあるN病院だった。そして私が一昨年入院したのも札幌医大。もともと西15丁目界隈は病院が多いとはいえ、このエリアにはなにやら奇妙な縁がある。

 急の知らせを聞いて父は職場から、私は家からそれぞれタクシーで病院へ駆けつけたが、マイカー通勤だった兄は職場から自分のクルマでやってきた。
 前回の「麦庵」の記事で「店には駐車場はないが近くにコインパーキングがある」と書いたが、この西15丁目エリア、今でこそコインパーキングや立体駐車場があちこちにあるものの、昔は駐車場が少なかった(気がする)。母が入院したN病院も駐車スペースが少なかった上、夜間で近隣の駐車場はどこも閉まっていて、兄はクルマを停められなかったらしい。しかたなく兄は交通量の少ない裏通りに路上駐車して、病院に駆けつけたのだった。
 母の病気はくも膜下出血だった。医師からは「出血した場所が悪く開頭手術ができない」と告げられた。つまり、最初から「あきらめてください」と言われたようなものだったわけだ。
 医師の宣告を聞いて、家族はみんな泣いた。それでも万にひとつの奇跡が起こることを願って、夜のICUに座り込んでいた。そんな中で兄が突然、言った。
「路駐してきちゃったから……クルマ、ウチに置いてくる……」
 そして兄はぐずぐずと泣きながらICUを出て、自宅へいったん戻っていった。
 じつは兄は、法の側に立つ仕事をしている。こんなときだというのに道交法を忘れないお兄ちゃん……マジメじゃん。しかし当時の兄のクルマは日産シルビア。こんなときに似つかわしくない軟弱なクルマだよなあ……私もまたこんなときだというのに、泣きながらそんなことを考えていた。

 いま思えばなんともバカバカしいけれど、人間というのは不測の事態に直面すると、どういうわけだか意味不明の行動や思考に走るものらしい。
 作家・向田邦子のエッセイで、向田邦子の父上が心臓発作で急死したときの記述がある。邦子の母上は、長男(邦子の弟)から「顔に布をかけたほうがいいよ」と言われて、タンスから豆絞りを出して父上の顔にかけたという。あとになって家族でその話になり、母上は「覚えてないねぇ、お父さんが生きていたら怒られたねぇ」と大笑いしながら涙をこぼしていた──という話。
 わが家も似たようなことがあった。母が亡くなり、通夜だ葬儀だという騒ぎの中で父が突然「お母さんが電話機を買い換えると言っていた」と言い出したのだ。冷静なアタマならば「そんなの落ち着いてからでいいでしょ」ということになるはずなのだが、どういうわけだか家族も集まっていた親類も「そりゃ買い換えなくちゃ」「そうだそうだ」ということになり、葬儀のてんやわんやの中で作業着を着たNTT社員がやってくるという、なんともおかしなことになったのだった。
 これまたいま思えば「なんで?」とバカバカしくなるほど意味不明な行動なのだが、たぶん人間ってとてつもない悲しみに遭遇すると、それが現実だと認めることを脳が拒否するんじゃないだろうか。父も兄も私も親類も、なんとなく「お母さんが言っていたことを叶えなくちゃいけない」という気分だったし、そうすることで母の死という現実を意識の外に押し出していたような気がする。
 父はこのことを覚えているだろうか。いままで聞いたことがないからわからない。
 
 初七日が済んでしばらくたったころ、父・兄・私の3人でクルマで出かけることがあった。当時のクルマは日産プリメーラ。まだ買い換えて3ヵ月も経っていなかった。クルマを運転しながら、兄がぽつんと言った。
「お母さん、せっかく新しいクルマに少ししか乗れなかったな」
その言葉を聞いて、深い深い悲しみが胸いっぱいに広がっていった。

佐々木美和

佐々木美和

札幌在住のコピーライター。運転免許はもちろんゴールド(ただしタイヤ交換すらできません)。近ごろクルマとは週末のお買い物や旅先のレンタカー、助手席もしくは後部座席でライトなおつきあい。ですが、クルマのお出かけは大好きです。

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