打ち合わせのため札幌医大近くまで。
ついでに昼食を食べようと思い、その店の前に立ったとき、思い出した。その店には以前に一度来たことがあった。
電車通りの北側の静かな仲通、「讃岐うどん 麦庵」。
前に来たのは6年前の秋、父の手術の日だった。
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不調を訴えた父を連れて病院へ行ったところ、医者から告げられたのは少々辛気くさい病名だった。おまけに父は不調を自覚していながらずいぶん我慢していたらしく、悪化してしまった病状はどうにも芳しくなかった。検査結果が出るや医者はすぐさまベッドを確保し、執刀スケジュールに父の手術をどうにかこうにか割り込ませた。つまりそれほど一刻を争う危急の事態であったわけだ。
父は昔の人間としては背が高いほうだったが、入院着を着せられて病室へ移動するとき、私の身長とあまり変わらないことに気がついた。寄る年波で縮んだのもあろうが、病気のため食が細くなって痩せていたことに加えて、青天の霹靂のように告げられた病名と、あれよあれよと決まってしまった人生初の全身麻酔手術にすっかり意気消沈したのだろう、ぽきりと折れてしまいそうなくらい小さくしぼんで見えた。
手術当日は私と兄夫婦が付き添った(母はすでに他界しております)。麻酔の注射を打たれた父に「頑張るんだよ」と声をかけると、父は弱々しくうなずきながら助けを求めるように私の手を握り、やがて意識が薄らいでいった。
父を乗せたエレベーターの扉が閉まると、私たちは誰からともなく連れ立って病院を出た。手術は2時間ほどの予定と聞かされていたので、昼食を食べようということになり、たまたま目に入った「讃岐うどん」ののれんをくぐった。
音のない、薄暗い、無機質な店内で私3人は向き合い、うどんをすすっていたような気がする。けれど何を食べたのか、どんな味だったのか、どんな会話をしたのか、まったく記憶がない。決してお店のせいではなく、でもあの日のうどんには味がなかった。
あの日私たちはそれぞれうどんをすすりつつ、それぞれが暗い予感におびえていた。「死」という黒々とした影のような単語を思い浮かべつつ、それを口を出すことなど到底できずに口をつぐんでいた。
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そんな6年前の秋の日を思い出しながらのれんをくぐると、おかっぱ頭のおかみさんが「いらっしゃい」と迎えてくれた。店内はこざっぱりと明るく、さりげなく花が飾られ、ジャズのリズムが軽やかに響いている。厨房の奥では黒いTシャツを着たご主人らしき人物が、みし、みし、みし、と小刻みに上下に動いているのが見える。うどん生地を踏んでいるのだな、と想像できた。
へえ、こんな店だったんだ。あの日はそんなことに気を向ける余裕もなかったのだ。
とろろめしとうどんのセット¥800を注文してしばし待つ。
しっとり上品な店構えから推して量は少なめだろう、という読みが見事に外れた。わかめうどんにとろろめし、サラダ、煮物、漬け物とボリューム満点。青ねぎが別添えになっていて、好きなだけかけることができる。うどんのつるつるとした喉ごし、しこしことした歯ざわりが小気味よい。真昆布と瀬戸内海のかつおぶしでとった透明なおだしもキリッと締まった味わいでうまい。とろろめしに添えられただし醤油も上品な味わいで、ごはんを残すつもりがするすると箸が進んで完食してしまった。サラダも煮物も漬け物も単なる添え物という感じではなく、どれも丁寧に作られていてとてもおいしかった。
そうか、6年前のあの日食べた味はこんなんだったんだ。
人間は日に三度の食事をして生きていく。うれしい日、悲しい日、寂しい日、笑いながら、しゃべりながら、怒りながら、泣きながら、いろんなことがあっても毎日食べて生きていく。あの日の私たちも、近づきつつある死の影におびえながらも、生きるために食べていた。私たちが食べられなくなることは死の影に負けることのような気がして、食べなくちゃ、と自分に言い聞かせていた。私たちが食べることが、父が生きる力を呼び戻すことでもあるような気がしていた。
人間って、かなしくって、こっけいで、ひたむきな生き物だなあ。
今はすっかり元気になってピンピンしているわが父を思い、味がしなかったあの日のうどんを思い出し、せっかく生きててくれてるんだからあんまりケンカしないようにしないとな、と反省しながらうどんをすすり、とろろめしをかっこむ娘なのでした。
● 讃岐うどん 麦庵
札幌市中央区南1条西15 南大通マンション1F
011-612-7833
11:30~15:00/17:00~21:00
土曜定休
※残念ながら駐車場はありませんが、すぐ近くにコインパーキングがあります。
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