男とクルマ、女とクルマ、とくればやはりお次はコレでしょう。ゲイとクルマのいい関係が暑苦しくも切なく狂い咲いたゲイ・ムービーの花、『プリシラ』(94年)。
オーストラリア・シドニーでショーステージに立つドラッグ・クイーン、ミッチとバーナデット、フェリシア。年代も抱える事情もさまざまな3人は、オーストラリア中部の町、アリス・スプリングスでのショーに出演するため「プリシラ号」と名付けたバスに乗り込み旅に出る。オーストラリアの砂漠をひた走るプリシラ号の面々に、道中さまざまな事件がふりかかる。好奇と嫌悪の入り混じった人々の視線、バスの車体に落書きされた心ない言葉、偏見、暴力……「自分ではタフなつもりでも、やはり傷つくわ」「罵られて強くなるのよ。男が女になるのはラクじゃない」──原色ケバケバメイクの下で流す涙をド派手な衣装でそっと拭い、ドラッグ・クイーンは毅然と顔をあげてふたたび走り出す。アリス・スプリングスをめざして。化粧の下に隠したほんとうの自分をめざして。
最近は性同一性障害もひとつの個性として受け入れられる時代になってきたみたいだけれど、『プリシラ』が公開された90年代前半は、エイズとゲイとの関連性を揶揄する人も少なくない、マイノリティへの偏見がはびこる時代だったと記憶している。オーストラリアン・ムービーらしいバカバカしいほどの明るさと砂漠の太陽に彩られながら、『プリシラ』にはマイノリティとして虐げられ続けてきた彼ら、いや彼女たちのいいようのない悲しみがそこかしこに漂っている。そんな彼女たちを偏見なく受け入れてくれた砂漠のアボリジニたちにも、オーストラリアが抱える人種差別の影がつきまとう。しかし、深い傷を負ったマイノリティたちが自分の傷を直視し、弱い自分と向き合い、涙を拭いて立ち上がる姿は強く美しく、まさに“砂漠のクイーン”なのだ。
それにしてもロードムービーというスタイルは、この映画でじつに効果的に使われていると思う。大都会シドニーではサブカルチャーのスターとして喝采を浴びていたドラッグ・クイーンも、田舎へ行くほど差別の対象として迫害を受ける存在へ変化していく。周囲が動き続けている都会では気づかなかった“動かしようのない自分”を、時間が止まったままの田舎でつきつけられる。その苦しみに対峙させるためにプリシラ号(クルマ)という舞台装置は動き続け、“揺るぎない自分”へと彼女たちを連れて行くのだ。
ドラッグ・クイーンたちの真剣かつコミカルな会話にゲラゲラ笑い、立ち上がれないほどうちのめされた彼女たちの姿に涙を流し、毅然としてステージのライトを浴びて踊る笑顔にぐじゃぐじゃに泣き笑いしている。単なるゲイ・コメディではない、深い深い人生の深淵をたたえたこの映画は、私の中で3本の指に入るくらい大好きな1本なのです。
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