少し前に『あなたと、どこかへ。』という本を紹介した際、川上弘美の「夜のドライブ」という短篇小説を取り上げた。
最近たまたま読んだ本にまったく同じタイトルを見かけ、少々奇縁を感じたので紹介しようと思う。
『枝付き干し葡萄とワイングラス』
椰月美智子/講談社 ¥1,300
10の短篇が収められており、それぞれにさまざまな夫婦が登場する。「夜のドライブ」はタイトルに違わず、若い夫婦が夜のドライブをして家に帰るまでを描いた掌編。
わずか17ページという小さな世界をドライブする夫婦のクルマは「夫が5年前に新古車で購入したダークブルーのレガシィLX1800・4WD、走行距離は92,000キロ」。買ったばかりの年に脇見運転をしていて路駐してあった軽自動車にぶつけ、先々週に信号待ちをしているときに居眠りをして前車のサーフにぶつけたが、いずれも修理しないままだ。
このレガシィ、物語が進むにつれて呼称が変わっていく。
「ボンネットが10センチ開いたままのダークブルーのレガシィLX」
「ボンネットが妙な具合にねじ曲がって開いているレガシィ」
「他の誰かから見れば、ただのポンコツのダークブルーのレガシィLX」
そしてついには
「ポンコツ」。
クルマの呼称が変化していくのに伴い、描かれる夫婦の風景も変化していく。
最初のうちは互いの会社での出来事などを話し合い、互いに感想や意見などを言い合っているのだが、やがてふたりの心に浮かぶものは徐々に乖離していき、次第に会話もかみ合わなくなっていく。
妻が「最高にいい」と思っている海のあたりを、夫はその先にあるお化けトンネルを想起しながら「なんか不穏な感じ」と鳥肌を立ててびくびくしている。
窓を開けて「潮の香りがする」「星が見える」と話す妻の声は夫の耳には届かず、夫の「眠くなってきた」という言葉を妻は無視して「それについては答えないようにしている」。
やがてドライブを終えたふたりはアパートへ帰り、一言もしゃべらずに風呂に入ってベッドに潜り込む。
『枝付き干し葡萄とワイングラス』に登場する夫婦はたぶんどこにでもいる平凡な人々だ。でも、同じ夫婦の情景はひとつとして存在しない。そして、そのすべてがどこか奥歯にもののはさまったような、小さなトゲがてのひらのどこかにささったまま抜けないような、なんともいえない不穏な違和感を漂わせている。「夜のドライブ」に登場するレガシィLX1800は、そんな不条理な夫婦のありようを象徴しているように思える。
小さなキズやヘコミを修理しないまま放置しつづけたクルマは、やがて「ポンコツ」へと成り下がる。乗っている夫婦もまた、小さな心のすれちがいを放置した末に会話もすれちがい、やがて言葉を交わすこともなくなっていく──。
一読すればどこにでもありそうな「夜のドライブ」の情景。でもそこには、夜の闇よりも暗くて深い夫婦の深淵がくろぐろと広がっている。
作者の椰月美智子はもともと児童文学の作家らしいが、『枝付き干し葡萄とワイングラス』は“夫婦”をテーマとした、れっきとした大人の小説だ。すでに結婚している人にとっても、結婚を夢みる人にとっても、ちょっと怖い大人の小説だ。
これを読んだ20代半ばの独身女子が「なんだかよくわからなかった」と言っていたけれど、この本の根底に流れる怖さというのは、結婚というものの現実を知る人でなければわからないのかもしれません。
さて、これをお読みの既婚者諸氏。あなたの人生を託した“結婚”というクルマ、ちゃんとメンテナンスしてますか?
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